ジーンズに対する思い

自分の意志・自分らしさを表現するジーンズ

もはや語るまでもないことなのだが、ジーンズほど「自由」と「若さ」を象徴している服はほかにないと思う。わたしが「自由」を求める自我に目覚めたきっかけはジーンズであった。人間は誰もが丸裸の状態で生を受ける。そして、親から愛を「与えられて」成長していく。与えられたものになんの疑問も持たない。それは服も同様だ。

しかし、いつしか「着せられていた服」に初めて違和感を覚えた瞬間にわたしの自我は目覚めたように思う。

「これは自分らしくない」

この瞬間が「自我」に目覚めた瞬間であるように思う。

それまでの自分は何も考えずに「子供」として親に与えられたモノ・環境のなかでぬくぬくと無邪気な時間を過ごしていた。それが中学生の時であったろか?「与えられたモノ」に対してかっこわるいとか嫌だとかといった類の反発感を持ち始めてしまったのだ。

それからであろうか、自分の意志・自分らしさというものに「かっこよさ」を感じ始めたのは・・・。自分の意志を自覚し、ファッションやスタイルというもので表現する。そのきっかけとなり、初めて自分で10,000円以上もする衣類の「かっこよさ」に憧れ、ちょっと背伸びをして買ったのがジーンズであり、ジーパンであったのである。

「初めて自分の意志で買った服はジーンズであった」

という人たちも多いのではないかと思う。

ジーンズが象徴するもの

もちろんブランドなんて全然知らない。かろうじて「リーバイス」を知っているぐらい。でもあの独特のインディゴブルーの長ズボンが、やたらに大人っぽく、かっこよく見えて、とにかく穿いてみたいと憧れたのだった。こうして、やっとジーンズを手に入れた時は、「初恋」が実ったようなワクワク感でいっぱいになった。

この「恋人」は、穿けば穿くほど、洗えば洗うほど、自分の体にフィットしてゆき、いわゆる「いい感じ」に色落ちしていって世界で一つだけの、自分だけのモノになっ てゆくという悦びを知ってしまったのだ。愛情を注げば注ぐほど「かっこよく」なっていく。

どこかへ出かける時は必ずジーンズを穿き、寝る時ですらジーンズを穿いて、色落ちを気にしてなかなか洗濯しないことをよくおかんに怒られたあの青春の日々。

まさにジーンズは青春である。

ジーンズは若さの象徴である。

ジーンズは自由の象徴である。

初めてジーンズを買ったあの頃の気持ちを忘れずに、大切に、いつまでもジーンズの似合う男でありたいと思う。

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